エリア別で探す

美容整形 TOP名医をさがせ!クローズアップドクター 一覧坂内 将佑貴 院長《湘南美容クリニック 品川院》

名医をさがせ!クローズアップドクター
湘南美容クリニック 品川院 坂内 将佑貴 院長

”お客様の笑顔”を一番大切にしています

1995年 国立新潟大学医学部卒業
国立新潟大学医学部付属病院 第一外科勤務
2001年 新潟大学医学部外科大学院で免疫学を専攻し、医学博士取得
2007年 湘南美容クリニック勤務

  • プロフィール
  • ヒストリー
  • インタビュー
  • 施術例
坂内 将佑貴院長の生い立ち・経歴
大人しかった幼少期から、陸上競技に熱中した学生時代。どのようなターニングポイントを経て美容外科医になったのか…?
坂内 将佑貴院長の生い立ちと経歴をたどります。

湘南美容クリニックに入職出来て、美容外科医としての道が開けました。

幼少期はどんなお子さんでしたか?

私は福島県の会津若松市で生まれ育ちました。子供の頃は慎重でとても大人しい性格でした。お絵描きや粘土遊びが大好きで、スケッチブックを持ち歩いて絵を描いたり、友達と泥んこ遊びをしていました。今思えば、この遊びを通じて美的感覚や立体感覚を養えたのかもしれませんね。

小さい頃の印象的な思い出としては、国指定文化財である鶴ヶ城(会津若松城)の本丸で遊んだのが、とても思い出深いですね。

大人しいお子さんだったのですね。中高生時代はどのように過ごされましたか?

中学校では慎重で真面目な学生時代を過ごしていました。足が速かったので部活は陸上競技部の短距離をしていました。リレーではアンカーを務め、県大会まで出場できました。

当時熱中したのは、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)。プラスティックの板を何層にも重ねて削ったり、パテをこねて造形したりしてオリジナルの物をアレンジして作っていました。(この時も立体的な感覚を養えたのかもしれません)

高校生になってもまだ生真面目な性格でした(笑)。大学受験ということもあり、部活は帰宅部でした。男子校でしたし、あまり印象には残っていない時代ですね。

ずっと真面目な性格でいらっしゃったのですね(笑)
大学時代はどのように過ごされましたか?

根が真面目なのは変わらないですが(笑)、大分軽~いノリになりましたね。気さくになったと思っています。

サークルに入って緩い大学生活を送る予定が、バリバリの運動部の陸上競技部に入り、短距離のスピードを生かしジャンプ種目(走り幅跳び)に熱中しました!指導者がいなかったので自分で研究し、成果を出していくことが楽しかったですね。

ウエイトトレーニングもこなし、人生で一番ムキムキの時代でした。東日本医科体育大会で入賞したのがいい思い出です。

鶴ヶ城

走り幅跳び

陸上競技部に熱中した学生生活を経て、医師の道へ進まれたのですね。
坂内先生が美容外科医を知ったきっかけを教えてください。

脂肪豊胸手術のことをテレビの番組で見て、病気を治す手術ではなく、そういう手術もあるんだな、と知ると同時に、直感で自分にも上手く出来そうだと思いました。

印象に残っているエピソードやターニングポイントを教えてください。

そうですね…印象に残っていることは3つあります。

まず1つ目は大学受験・大学時代の陸上競技部時代です。
この時期に自分で目標設定をして、ゴールから逆算でどのようなことをすればいいか研究し、それを実践すれば成功できるという、自分に対する自信がつきました。3Dプレミアム注入法も、この時の成功体験から自分を信じれば出来るという信念から生まれました。

2つ目は外科恩師2人との出会いです。
1人は一般外科に勤務していた時代の大先輩で、あの人より上手に手術を出来る人を知りません。出会った時はそれなりに年配の方でしたが既成概念にとらわれず、新しい器械や治療法を積極的に取り入れ、組織や患者さんに優しい手術をモットーに手術されていました。現在の私の美容外科手術でも、この考えが根底にあります。
もう1人は顔の脂肪注入で垂直注入法を教えてくれた形成外科の先生で、この方の助言がなかったら、3Dプレミアム注入法は生まれていません。

3つ目は相川佳之先生(湘南美容グループ代表)との出会いです。
湘南美容クリニックに入職出来て、美容外科医としての道が開けましたから。

坂内先生の今後の目標を教えてください。

現在でも湘南美容クリニックでの豊胸手術での指名件数は圧倒的にNo.1ですが、全体の症例件数ではNo.1になっていないので、症例数でも圧倒的トップになり、それを続けること。
また3Dプレミアム注入法を世界の脂肪豊胸手術のスタンダード手技にし、一人でも多くの患者様の満足度を高め、幸せにすることです。

  • 坂内 将佑貴院長

doctor list

掲載ドクターリスト