1978年 富山医科薬科大学医学部医学科入学
1984年 富山医科薬科大学医学部医学科卒業
1984年 大阪市立大学医学部付属病院研修医
1986年 大阪市立大学大学院医学研究科外科系外科学専攻
1990年 大阪市立大学大学院医学研究科外科系外科学修了
1990年 田辺中央病院医長
1991年 城本クリニック
男兄弟の二男でとにかく活発な子供でしたね。元気がありすぎて常に両親もいつか大きなケガをするのではないかと心配していたくらいです。
幼稚園の頃から1番でないと気が済まないという性格で、入学テストでも自分はもっとできる!とアピールする負けん気の強い子供だったそうです。
高校時代はアメフト部に所属して、そこで体育会ならではの厳しさ、上下関係などを学びました。
医大に進んだ兄の背中を追うように医学部を目指しました。実家はごく普通の家庭で子供の頃から医師を目指していたわけではありませんが、兄ができたのだからと自分も、と持ち前の負けん気で猛勉強して合格しました。
研修医時代は外科に所属して研鑽を積みました。体育会的な気質でしたので机に向かって研究しているよりも現場を体験したいと思い、外科を選択しました。
外科医時代は毎日のように手術をして、次々と新しい術式を覚えていきました。ハードではありましたが、自分には合っていたように思います。
研修医を終えたあとは大学院に進み「外科学」を学びました。面識はありませんでしたが、同じ大学院の「薬学部」にはノーベル賞を受賞した山中伸弥教授も在籍していましたね。山中教授は手術が苦手で、整形外科医の道を断念したというエピソードは有名ですが、薬学部に進学したことで素晴らしい発明をされたわけですから、人生は何があるか分かりませんよね。
私も大学院を卒業して、これからどうしようかと思っていたときに美容医療という分野があると知りました。当時は専門のクリニックも少なく認知度も低かったのですが、医療としても可能性を感じました。
自分の学んできた技術や知識を活かして、美容医療を一般の人にも広げていきたいと思ったのです。
患者さんの満足度を上げて「また来たい」と思われるクリニックにすることです。私は20年以上美容医療に携わっていますので、今後は若い頃には二重形成で担当した患者さんが、年齢を経て50代、60代になってたるみ取りなどの施術を受けにいらっしゃるかもしれません。
女性は美しさをキープすることで、外見だけでなく内面も輝いていきます。美容医療ができることを広げて、豊かな人生を送るお手伝いができるように精進していきたいと思います。
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